難病の病気と生きる事になりました!

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お久しぶりです👋

お久しぶりです、アソウです!

この度「潰瘍性大腸炎」という難病と生きる事になりました!

難病!? どうして!? 治るの!? 動けるの!? 働けるの!? 大丈夫!? と様々な反応があると思いますが笑

「難病です」 「原因不明です」 「現時点の医療では治らないそうです」 「めちゃくちゃ動けます笑」 「しっかり働いています!」 「今はもう大丈夫です!」とこんな感じです笑

今までの九州一周や日本一周、そして地球一周の話と比べると突然ハードなブログの入りになりましたね笑

既に知っている方も何も知らない方も様々いて、中にはとても心配してくれる方もいると思いますが(というか心配してくれたら嬉しいなぁwww)

先に結論を言っておくと、これからの人生において沢山のハードルは出来てしまいましたが、一旦は「今はもう大丈夫」という言葉に尽きます。

そしてなぜこのタイミングで文章にしてみようと思ったかというと、いつも通りこの気持ちを記録として残したい、そして22年間生きてきて健康病気食事生活習慣に対して初めてここまで考える事が出来た今、何かみんなにも届ける事が出来るんじゃないかとそう思い、文を書いている所存です。

実は発症から約11ヶ月、病名発覚から5ヶ月ほど経ちましたが、、、

大きな不安を抱え、病気はクソだと荒み、やりたい事はまだまだ沢山あるのにと絶望し、なんで自分なんだと悔み、それでも付き合っていくしかないもんなと受け入れ、周りの人や環境に支えられて、

クソだと思ったけど、一生付き合ってくもんなら「自分の大腸にあだ名でもつけてやって、一緒に生きていこうな~、このクソ野郎がぁ!」と受け入れてまた前を向いて生きていけそうになったので、、、

書きますかブログ!

この文章が誰かの勇気になればと、思いを綴ります。

麻生晃汰      

潰瘍性大腸炎 

病気が発症したのは、地球を一周している間でした。

気づいた理由は簡単です、「血便」が出始めたのです。今思えばこの時点ですぐに病院に駆けつけていれば、こんな病気になっていなかったのかなと思ってしまいますが、そんなたらればは置いといて。

19歳で自分の中でのどん底から悩みに悩んでやっとの思いで前向きに生きて行けるようになった自分は「血便」が出るくらいでは止まれませんでした。

いやバカだろ!早く病院に行けよ!とそんな意見も沢山もらったし、今思えば当たり前に速攻病院だわと思いますが、、、

幸せだった現状に慣れすぎた結果、臭いものには蓋をと言いますか見ない様に気づかない様にして過ごしていたのかもしれないと今は思います。

ある日ふと、友だちが親身に話を聞いてくれた事がきっかけで病院に行くことになりました。これは発症から約半年の歳月が過ぎたタイミングでした。

半年は遅すぎです、悔んでも悔やみきれない

命について初めて考えさせられた

病院に行く前に祈りました、、、「痔」であってくれてと笑

人生で初めて痔であってくれと祈りました、いやいや痔で悩んでいる人も沢山いるだろうにそんな事思うのは不謹慎かもしれませんが、それでも痔であってくれぇぇぇぇと思って笑っていました笑

そんな中、病院の先生から「内臓の病気ですね」と言われたショックは忘れません

そして「急ぎで再検査しよう」とも言われ1週間後の検査を予約しました、もう笑えませんでした。

実はその時、地元を出て東京に出てきたばかりだったので、一人で検査を受けて家族に報告をしました。申し訳ない気持ちと不安で頭の中がごちゃごちゃになり、再検査までの一週間は早い様で恐ろしく長く感じました。

そして自分の性格もあり、気丈に振舞いました笑

みんなの反応も、心配してくれる人やいじってくれる人、医療にかかわった経験がある人は詳しく教えてくれたりと、ほんと色々な人がいてくれたおかげで誰かといる時間は安心して過ごす事が出来ました。

内臓の病気と言っても、複数の病気が当時の症状と重なっていました。

ポリープ、クローン病、潰瘍性大腸炎、そして大腸がん

似ている症状の中にがんがあった事もあり、そして人間の心理は面白いもので「自分はがんになっているかもしれない」とどんどん自分の心を押しつぶしました。

出退勤の時間も寝る時間もトイレにいる時間も、「やばい死ぬんかな、まだやりたいことはめちゃくちゃあるのに」と本当に嫌な気持ちで東京という慣れない土地で思い詰めていました。

いざ再検査へ

検査は指定された食事と下剤を飲むところから始まります、人生で初めて大腸を空にしてすごく嫌な気持ちで朝が始まりました。

なんでこんな事してんだろって、普段は絶対思わないけどなんかすごいみじめで心が荒んでいったり、これじゃダメだといつもみたいに戻ったりと繰り返していました。

そして病院に着き、軽い麻酔をして内視鏡検査が始まります。

そもそも病院がすごく怖い性格で、それでいて見た事もない検査方法、そして診断結果は何であれ血便が出るほどの病気、、、

今年1番の嫌な時間は確実にこの検査だと思います笑

検査は十数分で終わり、検査結果が言い渡されました。

「潰瘍性大腸炎です」

僕は思いました、「がんじゃない!生きるんだ!」ってすごく嬉しかったし、安心しました。

家族にもすぐにがんじゃなかったと報告をしました。

しかし時間が経てば経つほどじわじわと現実に気づいていくのです、、、

潰瘍性大腸炎の現実

すごい勢いで、この病気の事を説明されます。

正直言うと内容は中々入ってこなくて、ただ「難病です」という言葉が耳に残っていました。そして与えられる一日10錠分の薬、合計約100錠の薬をもらい、これから毎日これを飲んでくださいと言われました。

原因は何ですか?と聞くと、原因は不明ですと返答

治りますか?と聞くと、現状の医療では治りませんと返答

正直全然意味が分からないまま、ただただ茫然と家に帰りました。

それから数日が経ち、身をもってこの病気について知っていきます。

毎日の腹痛、うずくまるような痛み、毎日薬を飲んで、大好きだったファストフードやラーメンを控える生活、調味料を体に良いものに一新して自炊していく日々、こうして徐々に生活が一変していきます。

病気の事も徐々に学んでいきました

潰瘍性大腸炎は炎症性腸疾患のひとつで、大腸の粘膜に炎症が起きることによりびらん(粘膜がただれている状態)や潰瘍(粘膜がえぐられている状態)ができる原因不明の慢性の病気です。主な症状には、下痢や血便、腹痛、発熱、貧血などがあります。また、さまざまな合併症が発現することがあります。

潰瘍性大腸炎ってどんな病気? | 潰瘍性大腸炎の基礎知識を知る | 潰瘍性大腸炎 | IBD LIFE (ibd-life.jp)

簡単に言うと、大腸の一部がえぐられた様な状態になり、調子が悪ければ血便も出るし、粘膜がえぐられてる分、免疫も下がるし大腸がすごく敏感になっている状態かな~って思ってます。

なので辛いもの、脂ぎったものなんか食べると次の日はまぁ腹痛です笑

ただ寛解期と活動期があり、症状は日々変わっていくようになっています。

寛解期症状が落ち着いて普段通りの生活が出来る状態
活動期症状が悪化して、血便や腹痛、発熱などが起きる状態

これから目指していくのはこの寛解期

どれだけ維持できるかが鍵になってくるという事です。

これから

小難しい話もありましたが、そこら辺は正直どうでもよくて病気になってみてどうかと言いますと、

正直かなりめんどくさいです!

至極真っ当な事を言いますが、健康はなんて大事だったんだと身をもって今は思います。

これまでの人生で、本当に辛い事もありました、その度に乗り越えて素晴らしい経験を積み、学びに変える事が出来ましたが、全ては健康が前提だったんだと深く深く思います。

沢山やりたい事をやってきました、就職をして、仕事を辞めて、全力でボランティアして、日本各地で働いて、九州を一周して、日本を一周して、地球を一周しました。

それでもやりたい事がまだまだありました、ワーホリビザを使って外国に住む経験を積みたい、世界をもっと巡りたい、食べた事のない美味しい物を食べたいし、体調の事を気にせず夜更かしして語り合いたいし、もっと身を賭して仕事に取り組みたいし、地域貢献で北九州を活性化したい、もっと色んな事を自分の目で見て、伝えていきたい。

やりたい事なんてほんとに数えきれない位にあるけど、何を行動しようにも前提として「体調が不安、悪化が不安」で取り組みにも億劫になっていく。

だからと言って一つも諦める気はないし、丁寧に病気と向き合い、よりアグレッシブに目指していこうと思っています。

なんか本当に思わず泣きそうな時もあったけど、それだけはクソムカつくんでまだ泣いてないです!クソがぁ!とはたまに思います笑

そんな僕から伝えたい事は、

22歳という若さで体に制限が来るとか全くもって思ってなかった。
日本一周も地球一周も先に病気になっとったら絶対にしてなかったと思います。
それくらいに紙一重で人生は変わってく物なんやと、病気になった「今」やっと感じる事が出来ています。

なってからじゃ遅いんです、人それぞれやりたい事は大なり小なりあると思います。
お金を貯めて旅行をしたい、投資を始めたい、お店を開きたい、家族を守りたい等沢山ある中で、病気は「時間」も「体力」も「お金」も少しずつ取られていきます。

動け!なんておこがましい事は言えんけど、ただリスクの少ない状態で動ける内にもっと動けばよかったと僕はこの年齢で初めて後悔をしそうです。ほんとそれだけです。

そして公言はしてないけど、人には言えない症状に悩んでいる方も沢山おると思います。
まだ軽症で済んどる身分で一緒に頑張ろうとか軽々しく言っちゃいけんと思うけど、僕は諦めないを選んでみようと思っています。一緒に生きようと思っています。
情緒が不安定になってしまう時もあるけど、その度に向き合おうと思っています。

でも一人は不安です、みんながおってやっと一人の自分やと病気になってすごく思わされています。
僕は病気を公にしていこうと思っています、それは複数の意味があると信じての判断ですが、
一つの理由を言うと、どうしようもない不安も辛い事も、周りの環境にすごく救われているからです。

あとは幸せの価値観も変わりました、もう大層な事は望んでない、一つ一つの挨拶とか人から貰える笑顔とかありがとうがなんかすごく響く、これは幸せのハードルが下がったけかもしれんけど、前より気持ち良く生きれとる気がする、ほっこりほのぼのする事が増えた。

病気はマジでクソやと思ったけど、ならんと分からんかった事にも沢山気づけたけさ、みんなにも知ってもらえたら嬉しい笑 出来るだけ病気の苦しみとかみんなは味あわんでいい様な人生にしてほしいけど、こんな気持ちも知っとってほしい。

みんなが病気にならずにこんな気持ちになれるように、伝えていける人になりたいっていう目標が出来た。クソやと思った潰瘍性大腸炎も一つの目標に繋がったけ「今はもう大丈夫」最初に言った大丈夫ってこういう事。

っしゃあ、人生頑張ろうねぃ

以上が途中から北九州の方言が混じり始めた、麻生晃汰さんからの言葉です。

彼は今も悩んでいる様で、人や世の中に寛容に優しく生きたいのに、たまに性格が荒んでしまうようになりました。もっと優しく生きたいと悩む姿はなんかかわいそうです。

見かねてこれからどうしていくかを一緒に悩んだんですけど、まずは自分に優しくなってそれからでいいんじゃない?とまとめてみました。

22歳、新しい挑戦は自分にも優しく生きる事。人に優しくなるにはまず自分に優しく出来なきゃねって考えです。

まだまだ未熟な麻生ですが、みんなよろしくお願いします。

まとめ

たった数ヶ月前までは、旅する若者アソウ君という感じで生きてましたが。

改めまして、「現在持病持ち優しくなりたい22歳アソウ君」という感じで生きていこうと思います。

とりあえずの目標は、「斎藤和義くらい優しくなりたいです笑」

ほんとは書きたい事もっと沢山あったけど、これくらいにしとこう!👋

まぁ大腸の病気になったけど、だいちょうぶ(大丈夫)です!

あぁおもんない、見てられない笑笑

最後に

2022/3/6に勢いで始めたブログですが、現時点で、、、

217018文字

の文字を書いてきたようです!

調べてみたところ、一般的な文庫本を書くには10~12万文字になるそうです。という事はもう一冊は書けるくらいの量を書いたと言えます!

いつ頃言い始めたか覚えてはないけどある時からの夢の一つで「本を書きたい」という夢があります。

本を全く読んだ事がなかった、勉強をほとんどしてこなかった、やりたい事も夢も何も持ってなかった、そんな自分が書く文章は誰かの勇気になると信じて今でも持ち続けている一つの夢になっています。

量というハードルは超えました、あとは自分の経験値と文章力を上げる事でいずれ書く日も見えてきそうです、、、

それこそ早くやれよって感じですけど、まだ人生に厚みが欲しいんですよ笑

って感じ笑 さようなら👋

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